聖徳太子架空説

Truth2005-07-02

最近blogのネタが無いので、こんな話を少々・・・
 

聖徳太子はいなかった?

聖徳太子の公式プロフィール
実名は厩戸皇子。574年−622年。推古天皇の摂政として冠位十二階、憲法十七条を制定、遣唐使派を行い、中央集権的官僚国家を目指した。仏教興隆にも尽力した。

「旧一万円札」、「十七条憲法」、「一度に10人の訴えごとを聞き分けた」などで非常に有名な聖徳太子だが、聖徳太子はいなかったという説がある。
 
聖徳太子架空説」は1999年に大山誠一さんという古代史学者が見方を変えて唱えた一つの説である。
大山教授の説の一部を挙げてみよう。

  • 聖徳太子は『日本書紀』では皇太子とされているが、そもそも皇太子の地位は中国の律令法の受容以後にしか現れない。
  • 憲法十七条には後世の知識でしか用いられない表現がある。
  • 日本書紀』に聖徳太子は、確実な史料を記したと思われる部分には一切登場しない。冠位十二階の制定や小野妹子の隋への派遣を記した記事に皇太子の語が見えないこと。また、隋から来日した裴世清を歓迎する記述は、詳細であり難波津での歓迎の様子、飾馬75匹で大和の海石榴市に迎えた様子、朝廷における歓迎の儀式の様子、そのいずれにも皇太子は登場しない。つまり歴史的事実と確認できる記事に皇太子(聖徳太子)は登場しない。反対に不確かか事実ではない場合に限って登場する。

以上の論点などを総合して、聖徳太子は実在しなかったと論じられた。
 
自分は歴史学の知識は持ち合わせていないので、聖徳太子の存在に関してここでは軽々しいことを言うつもりはない。存在証拠がないから、UFOがいるとかいないとかという次元の話になるからである。*1
それよりも今回、新しいアイディアを出す上で「先入観にとらわれない」ことが最も大事なことの1つであることを改めて感じた。
歴史学に関して、小・中・高などで教わった歴史を、普通いちいち疑ったりはしないが、先入観にとらわれず、みつめなおしてみるのは良いことであり、非常に面白いことであると思う。
 
参考HP:
「聖徳太子」はいなかった
『聖徳太子はいなかった』(谷沢永一,新潮新書)
聖徳太子はいなかった?

*1:でも、ネタ的に「いない」の方がオモシロイので、普段は「いない説」支持の方向でw